東京高等裁判所 昭和45年(ネ)1041号 判決 1976年5月18日
控訴人(被申立人) 高岸栄次郎
被控訴人(申立人) 株式会社芝浦電子製作所
原審 浦和地方昭和四四年(モ)第一二三一号(昭和四五年三月三一日判決、二巻一号一二四頁参照)
主文
原判決を取消す。
被控訴人の申立を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
第二当事者の主張、立証
当事者双方の主張、立証は、次のとおり附加するほかは原判決の事実摘示と同一であるので、これを引用する。
一 控訴人の附加する主張
原判決は、特許請求の範囲の記載を素直に解釈するならば、本件発明は、サーミスタとこれに縦続された抵抗回路網から構成され、三温度点と一温度点におけるサーミスタの抜抗値と合成抵抗値が第一関係式および第二関係式を満足することを要件とするサーミスタ抵抗装置と理解せざるを得ない旨判示した。しかし、本件発明は、サーミスタ抵抗装置の互換性の実現を課題とするものであり、特許請求の範囲に記載された二個の不等式は、三温度点における各装置に共通の合成抵抗値の選定範囲を示すものであり、このように合成抵抗値を共通ならしめることによつて互換性が獲得される。原判決は、このような本件発明の課題を全く看過し、二個の不等式による数値的限定という構成のもつ機能を無視した点において明らかに判断を誤つたものである。
二 被控訴人の附加する主張
(一) 控訴人が本件発明の課題と主張するサーミスタ抵抗装置の互換性の実現のための要件は、本件特許請求の範囲のなかにはどこにも開示されていない。かりに、控訴人が本件発明の課題と主張するものが控訴人の本件発明に関する意図であり、それが発明の詳細なる説明に記載されていたとしても、その記載によつて特許発明の技術的範囲を認定することは、特許請求の範囲の記載の解釈の限度をこえて別の要件を附加することとなり許されない。また、かりに、控訴人が主張するように、サーミスタ抵抗装置の互換性の実現が本件発明の課題であるとするならば、本件発明は、特性偏差のある複数のサーミスタに対して三温度点における各装置に共通する合成抵抗値を選定する方法ということに帰結する。それなのに、控訴人が一方において本件発明を装置(物)の特許と主張するならば、本件発明は複数のサーミスタを一単位として対象としていることにならざるを得ない。そうだとすれば、ある任意の一個のサーミスタ抵抗装置をとりあげて、それが本件発明に牴触するかどうかを判定することができないこととなる。元来、装置(物)についての特許であるかぎり、一つだけの物について構成要件が確定していなければならない筈であり、一個の対象物について特許の構成要件を満足するか否かを判断しうるべきものである筈である。控訴人が本件発明を装置の発明だと主張しながら、しかもその対象が複数(一群)のサーミスタとするのは、明らかに矛盾である。
(二) 特性偏差のあるサーミスタに対して共有せしめ得る一定の合成抵抗値の選択は、第一、第二関係式を用いなくても可能であり、現に、被控訴人は、第一、第二関係式を用いずにそれを実現しているのであるが、第一、第二関係式を用いずに選択した合成抵抗値を採つて製作したサーミスタ抵抗装置といえども、そのいずれもが結果的には第一、第二関係式を満足する。何故ならば、任意のサーミスタに抵抗回路網を縦続しさえすれば、いかなる場合でも常に第一、第二関係式を満足するのであるから、第一、第二関係式の充足ということは、サーミスタ抵抗装置に常に存在する一般的条件であるからである。とするならば、第一、第二関係式は、本件特許明細書の詳細な説明中に記載されている合成抵抗値の選択方法を実施する場合には意味のある関係式であるとしても、製作されたサーミスタ抵抗装置の構成要件としては全く意味のないものというべきである。
三 証拠<省略>
理由
一 申請の理由一項の事実、同二項のうち被控訴人がその主張の日時特許庁に対し本件特許を無効とする旨の審判の申立をし、これに対し特許庁は本件特許を無効とする旨の審決をした事実、同三項のうち控訴人が被控訴人主張の日時東京高等裁判所にこの審決の取消の訴を提起したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、本件特許についてなされたこの無効審決が取消されるべき違法を有するか否かについて検討する。
(一) 成立に争いのない疏甲第二号証によれば、審決は本件特許について、以下の理由によつてこれを無効としたものと認められる。
本件発明と米国雑誌「Transactions of The American Institute of Electrical Engineers Volume 73 1954. Part 1 Communication and Electronics」三九六ページより四〇〇ページまで(以下「引用例」という。)の記載とを対比すると、本件発明はサーミスタとこれに接続された抵抗回路網とよりなる点において引用例のものと一致するが、三温度点において第一、第二関係式が満たされるように合成抵抗値が選定せられていることを要旨としている点において、引用例のものに対して一応の差異が認められる。しかし、これらの差異は単なる表現形式上の差異にとどまり、実質的な差異はない。これを敷衍すれば、本件発明によつてあるサーミスタの温度特性の補償(整形)が可能な場合には引用例のものにおいてもそれが可能であり、引用例のものにおいて整形(補償)が不可能な場合には、本件発明においてもまた不可能である。また、引用例において一個一個のサーミスタについて整形(補償)が可能であれば、その結果として一群のサーミスタについてもそれが可能なことは明らかであり、他方、本件発明において一群のサーミスタを対象とするとしても、回路設計の実際に当つては、温度特性の異なるサーミスタについてはやはり各抵抗値の異なる補償回路を使用せざるを得ないことは明らかであり、また、本件特許明細書においても一個のサーミスタを対象として理論的解析がなされているのであるから、この点に関しても本件発明と引用例のものとの間に差異を認めることはできない。以上のとおりであるから、本件発明は旧特許法第一条の発明を構成せず、その特許は旧特許法第一条の規定に違反して与えられたものである。
(二) これに対して、控訴人は、本件発明はサーミスタ抵抗装置の互換性の実現を課題とし、サーミスタ抵抗装置の合成抵抗が三温度点において、他の装置と同一の値になること(以下これを便宜上「三個の合成抵抗値の定数性」という。)を要件とするものであるにかかわらず、審決はこれを看過して引用例と比較対照した違法がある旨主張する。そこで、以下この点について考察する。
1 成立に争いのない疏乙第五号証によれば、本件発明の特許請求の範囲には、サーミスタの三温度点To、Tn、Tm、(ただし、To>Tn>Tm)に於ける各抵抗とそれぞれに対応する合成抵抗との間に第一、第二関係式が満足されるように「各合成抵抗値が選定せられていることにより該サーミスタ特性に若干の偏差ある場合にも一定の合成特性が保たれている」との記載がある事実を認めることができるとともに、発明の詳細な説明中にも「このような場合もしサーミスタの特性の偏差を何等かの方法で補償して、その合成特性をすべてのサーミスタに共通な一定のものとなしえたならば、サーミスタプローブには互換性が与えられるから前述のようなサーミスタ応用装置の通有欠点が解除されるのみならず、サーミスタプローブのスペヤ保持を可能とし、又正確にして簡便な多点測定をも可能とするもので、その効果は極めて大きい。本発明はこの目的を達するため(中略)合成抵抗特性サーミスタの三温度点To、Tn、Tmにおいて、サーミスタ特性の偏差に拘らず夫々異なる一定値を保つようにするものである。」(公報一ページ左欄一七行より三〇行まで)、「本発明は以上詳細に説明したとおり相当の偏差をもつ与えられたサーミスタ群のすべて又は大部分に対して前掲条件式が満足されるように合成特性を選定することを根底とするものでこれにより初めて所望の互換性精度をもつサーミスタ合成抵抗装置を工業的に提供し得るものである。これを要するに本発明は与えられた一群のサーミスタ中のすべて又は大部分の個々のサーミスタ1とこれに継続された抵抗回路網2とよりなり(中略)各合成抵抗値が選定せられていることにより、該サーミスタ特性に若干の偏差ある場合にも該偏差に対応する該回路網2の適当な構成により所定の合成特性が保たれているサーミスタ抵抗装置に係り、その目的とするところは従来のサーミスタに通有な重大欠点たりし非互換性を完全に解消し」(公報四ページ右欄三一行より末行まで)と記載されていることが認められる。
これらの記載によれば、本件発明が控訴人主張のごとく互換性あるサーミスタ抵抗装置を得ることを課題とし、三個の合成抵抗値の定数性すなわち、サーミスタ抵抗装置の合成抵抗値が三温度点において他の一群のサーミスタ抵抗装置のそれと同一であることをその構成要件としていることは明らかである。
被控訴人は、特許請求の範囲における前記記載が単に他の要件を具備したことによる結果を記載したもので独自の構成要件を記載したものではない旨主張する。なるほど、本件発明においてはサーミスタ抵抗装置において三個の合成抵抗値の定数性を得ることがその効果であるとみられることは、前記本件発明の特許公報の記載より明らかなところであるが、このことが特許請求の範囲に記載されていることによつて発明の構成を機能的に限定したものと解するのが相当である。したがつて、このような限定を無視し、本件発明の前記記載をもつて、単なる作用効果の記載にすずぎ発明の構成要件に属するものではないということはできない。ところで、本件発明にいうサーミスタ抵抗装置は、一群のサーミスタ抵抗装置のうちのいずれをとつても互換性あるものをいうのであるから、一群のうちの個々のものを対象とすると解すべきことは当然である。そして、このように一群のうちの個々のものを対象とした場合でも、発明の対象はあくまでもその個々のものであり、その個々のものの性質、機能が他の一群のものとの比較において共通の合成抵抗値をもつものであるよう限定されるにすぎない。したがつて、本件発明が複数のサーミスタを一単位として対象としていると解するのは当らない。
2 そこで進んで、本件発明と引用例とはその技術内容を同じくするものかどうかについて考察する。
本件発明が互換性あるサーミスタ抵抗装置を得ることをその課題とすることは、前記認定のとおりである。そして、この課題を解決するために、本件発明はサーミスタの三温度点における各抵抗値とそれぞれに対応する各合成抵抗値との間に第一、第二関係式が満足されるように各合成抵抗値を選定することを技術内容とするものであることは、前記疏乙第五号証(本件特許公報)の記載に照らして明らかである。それでは、引用例にはどのような技術内容が記載されているか。成立に争いのない疏甲第三号証の記載をみれば、引用例には、サーミスタはその特性曲線を所望の形に変形するため受動整形回路と組合わせて使用する必要があること、所望の合成特性を得るためにサーミスタに附加すべき整形回路の固定抵抗値R1、R2、R3を選定する方法が記載されている。そして、その方法とは、まず合成抵抗値R(T)とサーミスタの抵抗値r(T)との関係R(T)―r(T)の特性曲線は上に凸(d2R/dr2≦1)なる直角双曲線であること、そこで、所望の合成特性を得るためにサーミスタに附加すべき抵抗値を選定する方法は、このような特性曲線に近似し少くとも三点を通る直角双曲線を幾何学的性質に基づき作図し、定数a、b、c(ただし、a=R1R2+R1R3+R2R3、b=R1+R3、c=R1+R2)を決定し、ついでa、b、cとR1、R2、R3の関係を規定する連立方程式を解くことにより、R1、R2、R3を決定する方法であるとする。
そこで、これらの記載内容に基づき本件発明と引用例の技術内容を比較対照してみると、本件発明はサーミスタ抵抗装置に関し一群のサーミスタ抵抗装置に共通な合成抵抗値の選定を内容とするものであるに対し、引用例はサーミスタに関し所望の合成特性を得るために附加すべき固定抵抗値の選定を内容とするものであり、またその選定の方法も、本件発明においては第一、第二関係式の満足を計るという方法であるのに対して、引用例においては専ら幾何学的作図の方法によるものであつて、これらを比較すれば、両者はその技術内容において相違があり、同一のものではないと認めるのが相当である。
被控訴人は、サーミスタに抵抗回路網を縦続してなるサーミスタ抵抗装置においては常に第一、第二関係式が満足される旨主張し、控訴人もこの事実は認めるところである。したがつて、引用例においてもサーミスタに幾何学的作図などの方法によつて選定された抵抗値をもつ抵抗回路網を縦続した場合、サーミスタの抵抗値と合成抵抗値との間に第一、第二関係式が成立することは当然である。その限度においては、本件発明と引用例のものとは実質的にひとしい部分があるといえないことはない。しかし、前記認定のとおり、引用例には、一群のサーミスタ抵抗装置に共通な合成抵抗値の選定という技術思想は見られないのであるから、そのかぎりにおいて本件発明とその技術内容を異にするものといわざるを得ない。この点に関し、審決は引用例において一個一個のサーミスタについて整形(補償)が可能であれば、その結果として一群のサーミスタについてもそれが可能なことは明らかである旨説示する。しかし、それは論理上可能であるというだけであつて、技術内容として引用例にそのようなことが記載されていると認めることはできない。また、個々のサーミスタについて一個一個個々的に引用例に記載された方法で整形可能の有無を検討し、その結果整形可能なものだけを集めて一群とするということは産業上役立ちうる手段方法であるとは考えられないから、引用例の記載から一個一個のサーミスタについて整形可能なものを選定し、それらを集めて一群とするという思想が示唆されていると認めることもできない。なお、成立に争いのない疏甲第四号証(吉田梅次郎作成の鑑定書)には、本件特許は引用例により無効とされるべきものである旨記載されている。しかし、その理由とするところは、本件発明の第一、第二関係式はサーミスタに抵抗回路網を接続したときに当然成立つ関係式であつて各抵抗素子が正である条件以外の何物でもないからというにすぎない。しかしながら、それだけの理由によつては、引用例記載の技術内容が本件発明のそれと同一もしくはそれを示唆するものといえないことは前に説示するとおりであるから、前記疏甲第四号証によつても、当裁判所の前記判断をくつがえすことはできない。
3 ところで、前記疏乙第五号証によれば、本件特許公報には、本件発明の出願当時サーミスタを±1%以内の偏差に抑えて安価に量産を行うことは不可能であつた旨(公報一ページ左欄七行から九行まで)、ある合成特性を示すサーミスタ抵抗装置に対しわずか一%以内において異なる特性の他のサーミスタによつて同一の合成特性を得べく補償抵抗の選定にいかに努力しても遂に徒労に終る旨(公報四ページ左欄下から八行から右欄一行まで)、本件発明の出願当時互換性あるサーミスタ抵抗装置は実現されていなかつた旨(公報一ページ左欄下から五行から右欄一行まで)記載されていることが認められる。これらの記載よりすれば、本件発明の出願前においてはサーミスタ抵抗装置の合成抵抗値が三温度点において他の一群のサーミスタ抵抗装置のそれと同一であるようなサーミスタ抵抗装置を得ることが極めて困難とされていたものと認められる。そして、引用例には前記認定のとおり一個一個のサーミスタについて整形可能なものを選定し、それらをまとめて一群とするという思想も示唆されていないのであるから、引用例の記載から本件発明が容易に想到できるものと解することもできない。
(三) してみれば、審決は控訴人主張のごとく本件発明の課題を誤認し、引用例記載の技術内容の認定を誤り、ひいては本件発明と引用例との比較対照を誤つた違法があり、当庁に現に係ぞくするこの審決取消訴訟において取消を免れがたいものと考えられる。そして、このような場合には、本件特許につき無効審決がなされたことをもつて本件仮処分命令を取消すに足りる事情変更があつたものということはできない。
三 以上の次第であるから、被控訴人の本件仮処分命令取消の申立は失当として棄却すべきところ、原判決はこれと結論を異にするのでこれを取消し、被控訴人の申立を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 古関敏正 宇野栄一郎 舟本信光)